台湾明光立上げで再認識した
仲間を信じ、自分を信じる大切さ。

浅水 真人

教務部 部長

台湾第1号教室に初めて生徒が入塾した時の嬉しさは忘れられない

今から5~6年前、台湾に進出するというプロジェクトが社内で立ち上がり、私に現地への赴任の話がありました。最初に聞いた時は、それまでの明光では海外駐在がなかったので、大変驚きましたが、新たなことにチャレンジできるいい機会と思い、迷わず承諾しました。台湾で一番苦労したのは、最初の教室物件探しですね。1999年に起きた大地震により台湾の建築基準が変わり、教室の開設基準が大幅に引き上げられたこともあり、いい物件を見つけたと思ってもNGが8割という状況で。本当に大変でした。また教室長の研修も思ったより時間がかかりました。日本では2000教室もの先輩教室長がいるのに対して、台湾には事例がないんですよね。研修は、机上で教えるため教室長候補生もイメージがなかなか湧かないんですね。意識づけが本当に難しかったです。開校するまでの4~5か月間は、トライの連続でした。また、言葉も文化も違う台湾という場所で、生徒は集まるのだろうか?という思いがどうしてもよぎるんですよね。かなりプレッシャーを感じていましたが、明光のやり方に間違いはないという思いが強かったのでやり続けることができたんだと思います。第1号教室を開講し、1人目の生徒が入塾してくれた時は心からホッとしました。そして、僕が帰国する頃には64校もの明光義塾の教室が台湾で開校するまでになりました。

台湾で感じた「仲間とのつながり、仲間を信じること」

台湾赴任中の日本スタッフの支援体制は本当にありがたかったですね。頻繁に連絡を取り合い、状況によっては台湾までサポートのために来てくれました。プライベートでも同僚や以前の部下、FCオーナーも視察や遊びにきてくれて、家族と合わせると2ヵ月に1回ペースで日本から誰かが来てくれている感じでした。台湾スタッフとの関係性の良さもありましたが、日本とのつながりが保てていたから、赴任中でも孤独感なく安心して仕事ができたんだと思いますよ。
また、台湾で経営に携わったことで思ったのは、妥協しないことの重要性。一番に発信する立場の者が、「現場ではそこまでできないだろうから、これくらいにしておこうか」と最初の時点で妥協をしてしまうと、教室に届いた時には、調整とか妥協の塊になってしまうということに気づかされました。理念を発信する立場の者は、仲間を信じ「本当に自分のやりたい教室」「みんなになってほしいオーナー像や教室長像」をしっかりと伝えることが大切なんだということを学びました。

必死に言葉や文化を学ぼうとする姿勢は現地スタッフに伝わっていた

中国語は当初、全く話せませんでした(笑)。日本人は僕1人だけで、当初は日本語を話せるスタッフに会議や打ち合わせは同行してもらいました。でも「この時間だけは中国語で話してください」と就業時間内でも通訳なしの時間をあえて作ったり、仕事終わりに台湾人の知り合いやその家族と食事をしたり話をする機会を頻繁に設けて、言葉と共に文化も積極的に勉強しました。私は日本にいる時からずっと、明光の仲間を信じて、愛するというか、そういう気持ちでやってきました。だから台湾に行く時も同じようにその国や人、子供たちを好きになることから始めようと思っていました。「ノウハウを指導しに行く」「副社長という立場で経営をしに行く」となると上から目線になってしまいますよね。だから「伝えるべきことは、キッチリと伝える、でも台湾の人たちからもたくさん学びたい、みんなの役に立ちたい」というスタンスでコミュニケーションをとるように心がけていました。帰国する際、「あなたが台湾に馴染もうとして努力していたから信じてついてきた」と現地の同僚たちが言ってくれた時は本当に嬉しかったし、自分がやってきたことが間違いなかったと確信できました。
あと、現地では運動不足解消のためにマラソンを始めたんですが、今度、日本の同僚と一緒に台北マラソンを走りに台湾へ行くんです。そこで、台湾の同僚も一緒に走ることになっていて、交流が今も続いていることがなにより嬉しいです。

Message

明光という会社は色々なチャンスを与えてくれます。たとえチャレンジに失敗しても挑戦すること、挑戦したことを評価してくれて、育ててくれる土壌があります。「踏み出すことが大事」と前向きなチャレンジを応援してくれる風土があるので、若いうちからいろんな経験ができ、成長できると思います。

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